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馬場健太郎
『いろのかたち - - GIVING FORM TO COLOR -』
2023年11月18日(土) - 12月10日(日)
馬場健太郎は、近年、海外のアートフェアや国際交流展にも出品しつつ、アーティストとしての世界観を広げ、パンデミックによる移動や文化活動の制限などを経て、その内的宇宙もさらなる深みへと進化しています。
今回は色彩表現に焦点を当てた新作油彩10点、ドローイング作品、そして作家自身がセレクトした過去の作品などを含め、新たな馬場健太郎の世界をご紹介します。
<アーティストメッセージ>
記憶 時間 絵の具
記憶は、身体経験の要素がともないます。
肌感覚のようなモノで、身体で感じたものがインプットされます。
それには、匂いや音、気温や湿度さえ重要な要素です。
視覚の記録のみならず、身体で認識した記憶が、時間の層として積み重なっていく。
それは、制作の中で絵の具を塗り重ねる行為の中で意図せず、偶発的に立ち上がる形を探る行為としてなぞらえていけるのではないかと考えています。
今回の『いろのかたち』と言う展覧会タイトルには、色彩に形があるのかということではなく、絵画の構成要素としての色彩、形、空間、物質性を改めて見つめ直し、感覚的で曖昧な問題を深めていきたいという思いが込められています。
視覚表現の中で肌感覚のような身体をともない、個人の記憶につながる表現が提示できたらと思い制作いたしました。
トークイベント:馬場健太郎 x 阿部謙一 (編集者)
演題「いろはかたちになるのか/いろがいろのままでいるには」
(2023年11月18日(土)ティル・ナ・ノーグ・ギャラリーにて)
馬場健太郎の発言[抄録]聞き手:阿部謙一
【風景と絵画】
僕は、1980年代後半に九州の長崎から東京に出てきて、二十歳で美術学校に入学しました。そのころはスキーブームだったので、車を持っている友人がスキー場に連れていってくれたんです。そのとき、僕は雪山の景色にとてもびっくりしました。九州出身で雪をほとんど見たことがなかったし、真っ白な雪山の風景を見たときは、本当に圧倒されました。そこで、その感動を絵にしようとしましたが、実際の風景にはとても敵わないし、そのときに撮った風景写真や描いた絵が、あの感動とはまったく違うもので、なにか安っぽいもののように感じました。それがなぜか? ずっと考えることになりました。
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絵を見ることと素晴らしい風景を見ることは、似ていると思います。テレビや映像とは違って、実際の風景からは、においや風などのいろいろなものを体感できます。そうした風景を見た経験を再現するための抽象性というか、絵には多様な要素が必要だと考えます。
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視覚を通して体で感じ、全身の感覚で受け止めるような身体性を持つという意味で、絵画の身体性と実際の風景を感じる感じ方は、日常とはまったく別次元の身体的体験として、似ていると僕は思っています。
それはつまり、止まって見ていないのです。絵は前後にも動いて見るし、画面の中で目が動いて、いろいろなところを見ながら画面の中を行ったり来たりして楽しみます。そのような、身体感覚を揺さぶるような絵画を描きたいと思っています。
【ミラノへの留学経験】
僕がイタリアに行ったのは40歳手前の時期で、ミラノのブレラ美術アカデミーに留学しました。作家活動をしながら、世界で勝負したい気持ちもあるし、自分の実力がどのくらい通用するのかチャレンジしたいという思いがありましたから。そして、英語圏ではないところから探して、僕はミラノを選んだんです。
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ミラノでの滞在許可証を出してもらい、ブレラ美術アカデミーの中を見てまわると、絵画科の1年生が「三原色の3色だけを使って、延々とドローイングする」という授業がありました。とてもおもしろそうだから、ほぼ1年間、僕もその授業を受講したんです。赤と黄色と青だけを使い、混色はしないルールです。色彩論というより、感覚的なトレーニングになりました。子供の色遊びみたいなものの延長線上で、自分の中の感覚を研ぎ澄ませるというか、感覚的なもののちょっと先のほうに手を伸ばすみたいな感じです。
僕のドローイングのシリーズは、日本に帰ってきてからも、それをずっと続けているもので、その発展系の要素があります。今回の展覧会タイトルの「いろのかたち」は、その経験が由来しています。
【作品の制作過程】
僕は、自分の肉体を通して作っているという身体性を意識しています。体調や精神状態が反映されている気がするからです。また、作品のサイズにも、自分自身の体格が影響しています。
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タブローの場合、完成したと思えるまでにかなりの塗り重ねを行います。7層ぐらいでパチッと決まるものもあるんですけど、多いときは20層、30層と塗り重ねていく。それも、僕の身体と物質の関わり方を提示しているわけです。
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僕にとっては、絵が、実際は動いていないのに、じーっと見ていると揺らいで見えるような感覚があるんですね。動くというか揺らぐというか。そう感じることができたら、僕は筆を止めるようにしています。すると、そのあとに自分の作品を記録に残すためにカメラで撮るんですけど、オートフォーカスモードにするとカメラのピントが合わないんです。そんなとき、「この作品は、うまくいった」「完成した」「これでいいんだ」と実感できます。
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「作品の揺れる感じ」というのは、突然にやって来ます。しかも、1カ所ではなくて、いろいろと同時に見えてこないと、複雑性みたいなものがないからおもしろくない。そう考えて、絵づくりをしています。
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油絵の描き方に関していえば、フェルメールの《真珠の首飾りの少女》の下唇のハイライト部分は、いちばん上に白い絵具がちょこんと載っています。白い絵具が、最も上のレイヤーとして置かれているのです。僕の作品も、同じように最後にハイライトを加えることがあります。
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ドローイングは、コットンペーパーという、真っ白というより少し生成りの感じがある紙に描いています。パステルで描き、紙の上を指でこすったりグリグリ動かしたりして色が混じり合っていきます。また、ところどころに白のパステルを使うことで、光というか、紙の白い部分とパステルの色の粒の具合をコントロールしながら描いています。
僕たちの視覚はとても優秀なので、その違いを認識できる。そこにも、作者と鑑賞者の身体性が浮上します。
【作品の鑑賞について】
作品を好きなように見てほしいというのは、ちょっと違うなと思っています。演劇の演出家が役者さんに言葉で伝えるように、僕もある程度は言葉を使って、自分の作品や制作について伝えたい気持ちはあります。タイトルや作品にまつわる言葉によって、見た人の個人の記憶や経験の中の風景とリンクしてもらえたらうれしいと思っています。
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僕がいちばんの理想とするのは、マティスが晩年に手掛けた、ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂を見たときの感じ。巨大な空間ではないけど、壁画の部分をじっくり見ながら、自分はキリスト教徒ではないのに、人間の存在を超越したものがいるかのような、神というものがいるかのような感覚になっていました。じつはこの展覧会も、小さな礼拝堂みたいな空間になればいいなっていう気持ちで展示しました。
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マティスのロザリオ礼拝堂を見に行ったとき、ニースの街からバスで45分ぐらいの山の上にあるんですけど、バスがなかなか来なかったこと、また、道中でおじさんに声をかけられたとか犬に吠えられたとか、作品鑑賞に至るまでのことをいっぱい覚えているんです。だから、作品との出会い方というのも大事で、身体性とか体感とかいったものが影響します。
ギャラリーまで見に来てくれたみなさんにもそうした体験をしてほしいし、足を運んでくださったことにとても感謝しています。
[構成:阿部謙一]
開催概要
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馬場健太郎『いろのかたち - - GIVING FORM TO COLOR -』
会期: 2023年11月18日(土) - 12月10日(日)
開廊日時:水ー日、13:00-19:00
休廊日:月曜日、火曜日